より 71年 8月のドル・ショック以降の為替調整は一段落した。 国際通貨制度改革の検討金ドルの交換停止後は、なし崩し的に変動相場制


アメリカの国際収支(流通性ベース)は30億ドルを越える赤字を出し,60年にはついに対外流動債務が金準備を上回るにいたった()。金投機が発生し,自由市場の金価格は1オンス40.6ドルまで高騰した。アメリカ政府は現行金価格維持の声明を発するとともに,一連の国際収支改善策を発表した。国際的にも61年秋金プール機構が結成された。準備通貨としての信認が問われ始めたとはいえ,ドルはいぜん世界的な流通通貨であり,介入通貨であった。その価値を維持することはまた,各国の利益にも合致していた。スワップ協定,ローザボンド,IMF一般借入れ取極(GAB)など国際協力による為替市場安定化の合意が次々になされていった。


1950年代までアメリカの国際収支は一貫した黒字でしたが、60年代移行、徐々に黒字幅が縮小し始めます。理由の1つは欧州諸国によるアメリカへの輸出増加です。第二次大戦以後、アメリカ側は西欧諸国がソ連の支配下に入らないよう、「マーシャル・プラン」による支援を行いました。ヨーロッパ諸国はアメリカから総額140億ドルの融資を受け徐々に復興。当初はアメリカからの輸入額が多かったのですが、逆に輸出額を増やしていきました。金・ドル本位制のもと輸出入の決済はすべてドルで行われるので、市場にはドルが溢れ、諸外国も多額のドルを保有するようになりました。

だが,これらの措置にも限界があった。いずれの措置も国際流動性の量の側面からする協力であった。このような流動性アプローチは,その資金利用を許している間に,被供与国が自国の国際収支不均衡を改善することを目的とする。しかしアメリカの場合,国際収支はむしろ悪化の方向へ進んだのであった。西欧諸国は金交換請求を手控え気味にしてはいたが,アメリカの金流出は止まらなかった。

(1) r金ブール」の創設・解体と金ドル交換停止…・・r金問題」とその対応

ニクソンショックは実は2回あります。ニクソン大統領の中国訪問に始まる第1次ニクソンショックと、金・ドル交換停止を伴う第2次ニクソンショックです。今回は第2次ニクソンショックについてのみ解説しています。

ニクソンショックとは、1971年にニクソン大統領が金とドルの交換停止を含む一連の経済政策を発表した出来事です。アメリカは金とドルとの交換をいつでも保証していましたが、ベトナム戦争による軍事費拡大などが原因で財政が悪化。金が国外へ流出し、交換ができなくなったのです。また、ニクソンショックにより1ドル=360円という固定相場制は終了。日本の経済成長を支えた輸出産業が縮小するのではないかという懸念が広がりました。実際14年後に締結されたプラザ合意で円高ドル安傾向が進み、日本の輸出産業は停滞。バブル経済への道を進むことになります。今回はそんなニクソンショックについて解説していきます。

協定第8条によれば,為替制限の撤廃等に関し加盟国には3つの義務が課せられている。すなわち,①経常支払いにたいする制限の撤廃,②差別的通貨措置等の撤廃,③外国保有残高の交換性である。これらの義務を受諾した国が8条国であるが,協定は同時にその第14条で「戦後の過渡期」に関する例外の規定を設けている。西欧,日本など戦争により壊滅的な打撃を打けた諸国は14条の適用により為替管理の存続が認められた。しかし,この過渡期間は予想外に長期化した。60年末までに8条国となった国は,にみるように,わずかに米州の9ヶ国のみであった。一方,西欧諸国は1950年,EPC(ヨーロッパ決済同盟)を結成して,まず域内の為替制限を撤廃するといった順をふんだのであった。

67年,アメリカの金準備は対外公的債務をも下回った。大規模な金投機の前に,68年3月,金の二重市場制が採用され,金プール機構は解体した。これは金の事実上の交換停止であった。この決定を行なったワシントン会議のコミュニケは,「アメリカの国際収支の大幅な改善が高い優先度を持つ目的」であり,「全ての諸国が国際収支の均衡に向かうのに役立つような条件に寄与する財政金融政策を進める意向である」ことを強調している。しかし,その後の事態はほぼ逆の方向に動いていった。そして,IMF成立の基盤がアメリカの卓越した経済力と豊富な金準備に裏付けられたドルの信認にあった以上,大前提が崩れかけている前では,その外縁での国際協力の果たす役割には限界があった。


に対処する競争力回復のための「新経済政策」の一環として、ドルと金の交換を一時停止した。

アメリカにおける金とドルの交換の法律的な淵源は1934年金準備法にまでさかのぼらなければならない。そこでは,外国通貨当局から,その保有するドルについての金交換請求があった場合に,アメリカは財務長官の権限でこれに応じうるとされている。そして同法に基づく34年の大統領宣言によって,金1オンスが35ドルと決定されたのである。もとよりアメリカも,国内的には1933年以来金本位制を停止している。名目的に残っていた法定金準備の規定も68年には廃止された。また対外的にも,金準備法では財務長官の判断で全売買をいつでも停止できることとされており,現実に71年8月にこの措置がとられたのであった。

際収支赤字に依存する形(「ドル本位制」)となった。 1971年8月の金ドル交換停止で、 国際通貨システムは固定相場制の維持ができなくなりI

このようにドルの金価値自体は必ずしも絶対的なものではなかったが,I MF成立以前から世界の金準備の大半を有したアメリカが,なんの支障もなく外国公的機関保有のドルに対して金交換に応じていたために,この限りでドルは唯一の金為替とされ,また準備通貨の地位が与えられていた。

1971年の金ドル交換停止 (ニクソン・ショック, 1971.8.15) 後に成立した

協定は第4条第1項において,加盟国の通貨の平価を「金または1944年7月1日現在の量目および純分を有する合衆国ドル」により表示すべきことを規定している。しかし,これは各国の平価設定時の基準尺度を定めたものにすぎない。また,同第2項では金の買入れに際しての条件を述べ,第4項では金の売買と平価維持義務の結び付きを述べている。しかし,これらはいずれも金とドルの交換を積極的に保証しているものではない。事実としては,アメリカ政府は国際取引の決済のために事実上自由に金を売買する旨の約束が,IMF成立後間もなく,アメリカの時の財務長官スナイダーよりIMF専務理事にあてた49年5月20日付けの書簡の中で明確にされたのである。

スミソニアン体制は,金交換性を失った米ドルによる平価設定に基づく固定為

IMF体制が金為替本位制とされるのは,協定が明示的にそれを唱えているからではなく,すでに機能していた国際的な金為替本位制,いい換えれば国際的な金ドル本位制を前提として,その上に自らを置いてきたからであった。

金とドルの交換停止を表明した「ニクソン・ショック」を受け、沖縄住民の損失を補(ほ)塡(てん)する「通貨確認」から9日で50年を迎える。

いかなる経済制度もその出発点においては,その当時の実体経済の基本的構造を反映したものとなる。そういった意味では,IMF体制は,200億ドルの金に裏付けられたドルを軸にして構成されたといえる。そして,実際の運営は,各国の国益の調整の中から生まれてくる。それは超国家的な力を具備しない国際機構の限界であるともいえるが,IMF自体が協議の場,協調の場として機能することによって,その限界を克服しなければならない仕組みになっている。

1971年8月15日の金とドルとの交換停止は、制度的な「金廃貨」への道をひらくものであ

アメリカだけでなく世界経済に大きな影響を与えたニクソンショック。第二次世界大戦後、アメリカは圧倒的な経済力で金を備蓄しました。これを背景に「金・ドル本位制」を実施します。「金・ドル本位制」とは、ドルを金とならぶ国際通貨の基軸にするというもの。それまでは金のみが国際通貨として認められていましたが、ドルが基軸となる体制が構築されたのです。

1971年8月、ニクソンはドルの金交換性の停止を含む新経済政策を発表

バナー写真:全米向けテレビ演説で「金・ドルの交換停止」を発表するニクソン大統領(1971年8月15日)=AP/アフロ

ソン声明は、金交換停止のほかに10%の輸入課徴金賦課などの措置を含んでいた

仮に、巨額の景気対策予算の一部をIT人材、例えばソフトウェア技術者らの育成や起業支援に投じていたらどうだっただろう。米国のアマゾンやグーグルの創業は90年代、フェイスブックは2004年だ。日本でもGAFA級のプラットホーム企業が、生まれていたかもしれない。

大統領は遂に米国のIMF協定違反 (ドルの金交換停止)に踏み切ったのである。 それが1971年8

新型コロナ事態でインフレ圧力が高まると主要国の中央銀行は政策金利を相次いで引き上げたが、日本は内需回復を目的に利上げ圧力が高まっても政策金利を上げず、米国との金利差がさらに広がったために円安基調がさらに強まった。報告書は「過度な円安を背景に日本銀行は投機的な動きは許容できないとして市場介入を正当化しているが、通貨当局の介入が市場で形成された基調を変えることはできない状況」だとし「実質金利がマイナス状況であることを考慮すると、投機的な円売りが始まった場合には、日本の家計の資本移動(現金および預金1100兆円)が本格化する可能性がある」との見通しを示した。「ドル買い、円売り」方向の介入は、市場で円を借りてドルに変えればよいので、いくらでも無制限にできる反面、「ドル売り、円買い」方式の介入は、日本の外貨準備高の減少を招くことになる。

最後に︑金ドル交換停止と固定為替相場制放棄以降最近に至るまでの展開の大筋を ..

報告書は「日本円の価値は戦後経験したことのない水準まで下落している。実質価値で比較すると、1973年に変動相場制を導入する以前に維持していた固定相場1ドル=360円よりも円安状態だ」と述べた。円安基調に転じたのは2012年末からだ。報告書は2011年以後、貿易収支の赤字急増、東日本大震災発生、アベノミクスによる量的金融緩和の3つの事件が背景要因として作用したと分析した。

これは、米国政府が、それまでの固定比率(1オンス=35ドル)による米ドル紙幣と金の兌換を一時停止 ..

報告書は「日本経済は生産性の向上と国内の消費・投資を増大させる構造改革を断行しないまま、単純に低金利と円安に依存する状況を継続しており、企業が海外直接投資を増やし投資家も海外の債券や株式への投資を拡大する状況がもたらされている」とし「このような自国内投資の萎縮で日本経済の競争力が低下し、貿易収支の改善を期待しにくくなり、円安が続く可能性を高めている」と述べた。