ASIAN KUNG-FU GENERATION アジカン Tシャツ Lサイズ


テクノや、ダンス寄りかパンク系ロック、スティーヴ・ライヒなどの現代音楽が好きなライターです。常にYouTubeか、Spotify、Soundcloudが流れています。Supercarは「スリーアウトチェンジ」から聴いていて、最初のツアー以降「Futurama」の前までほぼ全てに参加。「HIGHVISION」と「ANSWER」もアリ派です。トライバルなBoredomsやノイズっぽいLightning boltとかもたまりません。あとは、サカナクション、スピッツ、BUMP OF CHICKEN、ビジュアルも含めプロデューサー的立ち位置としてのFKJやJazztronikなど。パンクな頃のダウンタウンにもはまり、「ごっつえぇ感じ」のキャリー東野の番組収録に行ってました。たまにPhotoshopで絵も描いてます。


聴きやすくて印象に残るサウンドと、身近なことをファンタジーに仕立てて文学的とも評されている歌詞が、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの大きな魅力となっています。

■9月14日15日 横浜スタジアム「ASIAN KUNG-FU GENERATIONデビュー周年記念ライブ」を開催。

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■9月11日 スタジオ・ライブ・アルバム『ザ・レコーディング ~ASIAN KUNG-FU GENERATION~ at NHK CR-509 Studio』リリース。

「25歳くらいまでに声がかからなかったら、やめようかな」とあきらめかけていた頃に、今のマネージャーと出会って、メジャーデビューが決まりました。決して早いデビューではなかったし、土俵際ギリギリでしたね。デビューしたあとも、いろいろな音楽を聴いて影響を受けてます。ニューウェイブリバイバルの頃に「ファンクラブ」(2006年発売)を作ったり、海外のインディロックを聴きまくって「マジックディスク」(2010年発売)につながったり。The Streetsやカニエ・ウェストを聴いて、「これからは言葉の時代だ」なんて言って「新世紀のラブソング」(2009年発売)でラップをやったりね。世界の潮流で何が流行ってるのかが気になるし、リスナーとしてもそういうアーティストが好きなんです。ベックなんてまさにそうですよね。Foo Fightersみたいに、スタイルを確立したうえでアップデートしていくのもいいなと思いますけど。その両方を実現させたくて、アジカンとソロの両輪になったんじゃないかな。

最近リリースしたソロ曲「Nothing But Love」に限らず、曲を作ってるときは「ラッパーの言葉遣いに肉薄したい」というテーマがあります。ラップミュージックは世界的な音楽になりましたよね。ただ自分はバンドマンなので、そこに無闇に乗っかってもなという気持ちがあって。例えば、生音の“なまり”と打ち込みのビートを融合させたいなって。その上で、自分なりの歌い方を考えてみようと。「Nothing But Love」のビートは、シモリョー(the chef cooks me)が打ち込んだデモを、skillkillsのドラマー・さとしくんが生で叩いていて。かなりヨレていて難しいんだけど、そのグルーヴを完璧に表現できるんですよね。同じくシモリョーが編集したギターのフレーズを井上陽介くん(Turntable Films、Subtle Control)が演奏して、それもすごくて。ベースもシモリョーが手弾きで打ち込んでいるし、すべて人力なんですよね。今、素晴らしいミュージシャンの助けを借りて、自分がやりたいことを形にしているところです。

予備校の授業にはあまり出てなかったんですよ。最初は行ってたんだけど、成績がよかったから、また怠け癖が出てきて「こんな感じで適当にやってたら、どっか受けるだろう」と。ダメですね(笑)。関東学院大学を受験したのはまったくの偶然。Oasisのアルバムを貸してくれた友達に「横浜の端の大学を受験する。遠いし、寂しいから、一緒に受けてよ」と言われて、「いいよ」って(笑)。学校の名前すら知らなかったんだけど、なぜか自分だけ受かっちゃったんです。「まあ、ここでいいか」という感じだったし、高校を卒業してからは行き当たりばったりですね。ただ、立川で浪人しなかったら音楽をやってなかっただろうし、関東学院大学を受験しなかったら、アジカンのメンバーとも会えてなかったわけで。結果的にはよかったんですけど、すごく不思議な感じがします。
大学に入ったらメンバーを集めてバンドをやろうと決めてたし、思い立ったら早かったですね。最初のライブからオリジナル曲をやっていたし、学園祭のときはすべて自分で作ったオリジナル。そのときは曲を書くメンバーがもう1人いて。そいつはその後デザイナーになって「The Future Times」やレーベルのロゴを作ってくれてます。ほかのアーティストのカバーをあまりやらなかったのは、人のマネをしてもしょうがないだろうなと思ってたから。例えばOasisのカバーをやっても、あんなふうにカッコよく歌えないじゃないですか。「Live Forever」もそうだけど、リアム・ギャラガー以外の人が歌っても大してカッコよくならないし、ああ言う感じにならないので。憧れはありましたけどね。チンピラみたいな兄弟がロックバンドで突き抜けていくっていう。

ただ曲を作ることに関しては、ノエル・ギャラガーの影響をめちゃくちゃ受けてます。コードが3、4つあれば曲を作れることを教えてくれたのはノエルなんですよ。ライブの映像を観ればわかりますけど、弦を押さえている左手がほとんど動かないんです。add9、sus4系のコードを弾いて、ベースが動くというアレンジが基本になっていて。ユニコーンよりもはるかに簡単だし、「これなら俺にもやれる!」と勘違いしちゃったんですよね(笑)。「え、こんなに簡単なコードだけで、こんなにいい曲を書けるの?」のオンパレードだし、ノエルの曲の構造を自分なりに調べて、「こういう組み合わせになってるのか」と少しずつ理解できたことが、自分の曲作りにつながったんですよね。

新宿のレコード屋でブートレグのビデオを買って、ノエルがギターで何をやってるのかを何度も繰り返して見たりして、いろいろ研究してましたね。途中で間違えて録画ボタンを押してしまって、いいところで「郁恵・井森のお料理BAN!BAN!」が入ってしまう事件もありましたけど(笑)。歌詞の書き方もそう。「ティッシュ(tissue)」と「イシュー(issue)」、「ステイ(stay)」と「アウェイ(away)」みたいに語尾をそろえると、メロディが気持ちよく聴こえるんだなとか。当時は韻を踏むということも知らなかったんだけど。頭韻、脚韻も知らないし、文学とかにも明るくなかったから手探りでした。

その後、「ノエルだけに頼ってたら、これ以上はどこにも行けない」と思い始めて。その時期に聴いたのが、Weezer。僕が最初にガツンと来たのは「Pinkerton」(1996年発売)だったんですけど。友達にパワーコードの弾き方を教えてもらって、さっそく曲作りに取り入れました。その頃は「ほかのバンドとは違う曲を作らなくちゃいけない」という気持ちが強かったんです。アジカンはテクニックで聴かせられるバンドではないし、曲が面白くないとダメだろうなと。Weezerは構成がヘンな曲が多くて、すごく参考になりました。日本のバンドからも刺激を受けてましたね。メロコア以外の日本のバンドにはそこまで惹かれなかったんですけど、BEAT CRUSADERSやPENPALSに勝手に共感していて。そのあたりからですね、現在のアジカンのスタイルに近付いてきたのは。

新聞配達はめちゃくちゃ大変でしたけど、そのおかげで東京に出てこられたので今となってはすごく感謝してますね。風呂ナシ、トイレ共同だけど、家賃はタダだし、まかないもあったし、月に5万くらい使えるお金があって、CDもけっこう買えるようになりました。音楽に詳しい友達もできたし、夜中に「BEAT UK」(1990年にフジテレビ系列で放送が始まった洋楽情報番組)を観て「こんなにカッコいい音楽があるのか!」と刺激を受けて。

一番デカかったのは、Oasis、ベック、Teenage Fanclubですね。Oasisは友達に教えてもらいました。最初に聴いたのは、1stアルバムの「Definitely Maybe」(1994年発売)。「Rock 'n' Roll Star」で始まって、3曲目で「めちゃくちゃいい!」と電気が走って。まあ2曲目の「Shakermaker」は、イギリス人じゃないとよさがわからない曲だと思うんですよ。「Rock 'n' Roll Star」はともかく、2曲目が「Shakermaker」なんて、アルバムを売る気あるのかよ!と思いましたけど(笑)、3曲目の「Live Forever」が流れ始めて、リアム・ギャラガーが歌い出した瞬間、完全にヤラれました。ベックは「Loser」ですね。1stアルバムの「Mellow Gold」(1994年発売)はわかりやすいアルバムじゃないけど、「Loser」を聴いたとき「めちゃくちゃ変わった音楽だな」とインパクトがあって。ずっと続いているフォーキーな音楽への興味は、ベックの影響でしょうね。Teenage Fanclubは「Bandwagonesque」(1991年発売)から聴き始めました。彼らはとにかく曲がよくて、「やっぱり洋楽は強いな」と。

浪人時代はライブにも行ってましたね。新宿にあったLIQUIDROOMでReefの初来日、CLUB CITTA'ではFoo Fightersの初来日を観ました。その頃はCLUB CITTA'に洋楽のバンドがよく来てたんですよ。南武線で立川から川崎まで行くので、めちゃくちゃ遠かったな(笑)。RadioheadやWilcoを聴き始めたのも同じ年だし、あの1年は自分の音楽人生にとってめちゃくちゃ重要ですね。初めてエレキギターを買ったのも浪人生のとき。立川の質屋で、アンプとギターのセットを買って。4万8000円くらいだったのかな? よくわからないメーカーだったんですけど、歪んだ音が出せるアンプで、部屋で鳴らしてました。


J-POPや邦ロックの代表的なバンドのひとつASIAN KUNG-FU GENERATION(アジカン) ..

アジカンのロゴを今までにない表現で落とし込みたいと考え、普通のシルクスクリーンプリントではなく、立体的で風合いのある (ヴェルヴェットのような) フロッキープリントを採用しました。ライブ会場限定カラーはボディと同色カラーでプリント、BYWEAR 限定カラーは逆配色のカラーでプリントしています。

ASIAN KUNG-FU GENERATION アジアンカンフージェネレーション ステッカー シール アジカン ..


L to R
伊地知潔: Drums イヂチキヨシ 神奈川県
後藤正文: Vo & G ゴトウマサフミ 静岡県
山田貴洋: B & Vo ヤマダタカヒロ 静岡県
喜多建介: G& Vo キタケンスケ 神奈川県


【1996】
■96年大学の音楽サークルにて結成。
(後藤、喜多、山田にとって、生まれて初めて組んだバンドがASIAN KUNG-FU GENERATIONであった)
同じサークル内でドラマーとして活躍中だった伊地知が加入。全英語詩によるオリジナル曲で校内、地元横浜を中心にライブを行う。

【2000】
■00年、自主制作にて全英語詩による6曲入りのアルバムを発表。ライブ会場、インターネットにて手売り販売する。

【2001】
■01年、横浜CLUB24にて“YMD”をはじめ、いくつかの自主企画イベントを開催。
初めて日本語詩で取り組んだ楽曲“粉雪”が完成し、FM局の各インディーズ番組に音源を送り、自分達の楽曲が初めてFMでオンエアーされる。その後、日本語詩を取り入れた2枚目の自主制作CDを発表。地方や各ライブハウスで大盛況となる。
この時期から渋谷をはじめ下北沢、吉祥寺などで精力的なライブ活動を始める。

【2002】
■02年、アンダーフラワーレコードのコンピレーションCDに参加。
同年11月、初の正式音源となるMini Album “崩壊アンプリファー”をリリース。ハイラインレコード連週1位をはじめ、オリコンインディーズチャート35位を記録。

【2003】
■4月23日、『崩壊アンプリファー』がキューンレコードより異例の再リリース。5月に初のワンマンライブを下北沢SHELTERで行う。
夏には、FUJI ROCK FESTIVAL ‘03「ROOKIE A GO GO」、SUMMER SONIC ’03 東京・大阪にも出演。
■8月6日、1stシングル『未来の破片』をリリース。
■10月16日、シングル『君という花』に続き、ファースト・フル・アルバム『君繋ファイブエム』が11月19日にリリース。

【2004】
■1月19日~2月25日まで、初ワンマン・ツアー「five nano seconds」を行う。(全13公演)
■3rdシングル『サイレン』が4月14日に、4thシングル『ループ&ループ』が5月19日に、と二ヶ月連続リリース。
■自主企画イベントASIAN KUNG-FU GENERATION presents “NANO-MUGEN FES.”を7月1日に日本武道館にて開催。
この夏は、MEET THE WORLD BEAT、FUJI ROCK FESTIVAL、ROCK IN JAPAN FES. など10以上の全国各地のフェスティバルに出演。
■8月4日にシングル『リライト』をリリース、続く9月23日にシングル『君の街まで』をリリース。
■10月20日、セカンド・アルバム『ソルファ』をリリース、アルバム・チャート2週連続1位を記録。
■11月2日~12月5日まで、初の日本武道館ワンマンを含む全国ツアー「Tour酔杯(SUI CUP)2004~No! Member, November」を行う。(全12公演)
■初の映像作品となるビデオ・クリップ集『映像作品集1巻』を11月26日にリリース。

【2005】
■3月14日~6月26日まで、全国38都市48公演「Tour 2005 “Re:Re:”」を行う。
■初のライヴ映像作品となる『映像作品集2巻Live at 武道館+』を4月20日リリース。
■自主企画イベント: ASIAN KUNG-FU GENERATION presents “NANO-MUGEN FES. 2005”を7月9日に横浜アリーナにて開催。ASIAN KUNG-FU GENERATIONを含む日本4バンド、UK 4バンドの計8バンドが出演、さらに2ステージ制を導入。また、この8バンドの楽曲を収録したフェス連動コンピレーションCD 『NANO-MUGEN COMPILATION』も6月8日にリリース。ASIAN KUNG-FU GENERATION 新曲「ブラックアウト」を収録。
■05年夏、SUMMER SONIC 05 (東京&大阪)、ROCK IN JAPAN FES. 05、RISING SUN ROCK FES. 2005のメインステージに出演。
■11月30日には、7枚目のシングル『ブルートレイン』をリリース。続く12月には”酔杯2005~winter the dragon~”を行う。

【2006】
■2月15日、8thシングル『ワールドアパート』リリース。
■3月15日、3rdアルバム『ファンクラブ』をリリース。
■4月24日より、全38公演となるTour2006 「count 4 my 8 beat」を行う。■7月16・17日、二日間に渡って自主企画イベントASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES.2006を横浜アリーナにて開催。
■7月28日、FUJI ROCK FESTIVAL 06、初のGREEN STAGEへの出演を果たす。(FRFへは3度目の出演)
■10月25日、初の編集盤『フィードバックファイル』リリース。
■11月11日~2007年1月11日まで、初のアリーナツアー「Tour酔杯2006-2007 “The start of a new season”」敢行。総動員約10万人。
■11月29日、9thシングル『或る街の群青』リリース。(松本大洋原作のアニメ映画「鉄コン筋クリート」主題歌)

【2007】
■3月21日ライヴDVD第二弾となる 『映像作品集 3巻 “Tour酔杯2006-2007 The start of a new season” 』リリース。
■初の海外公演となる韓国での野外フェス「INCHEON PENTAPORT ROCK FESTIVAL」他、ROCK IN JAPAN、RISING SUN ROCK FESなど10本の夏フェスに出演。
■11月7日10thシングル『アフターダーク』リリース。(テレビ東京系アニメ「BLEACH」オープニングテーマ[10~翌年3月]
■11月29日~12月22日まで、全11本のTour 酔杯2007 ~Project Beef~を開催。(初の海外ワンマンライブとなる韓国ゴーストシアターでのライブ含む)

【2008】
■2月6日 11thシングル『転がる岩、君に朝が降る』リリース。
■3月5日 4thアルバム『ワールド ワールド ワールド』リリース。
■3月26日 ビデオクリップ集 第二弾 『映像作品集 4巻 』リリース。
■4月23日~6月29日まで、全国23都市31公演の「Tour 2008 ワールド ワールド ワールド」を行う。
■6月11日 ミニアルバム『未だ見ぬ明日に』リリース。
■7月20・21日 二日間に渡って自主企画イベントASIAN KUNG-FU GENERATION presents NANO-MUGEN FES. 2008を横浜アリーナにて開催。
■9月13日・大阪、9月15日・東京にて開催された「WEEZER FESTIVAL」にてWEEZERと共演。
■10月15日 12thシングル『藤沢ルーザー』リリース。
■11月5日 5thアルバム『サーフ ブンガク カマクラ』リリース。
■11月18日~12月18日まで、全国6都市8公演の「Tour 酔杯 2008 ~THE FINAL~」を行う。

【2009】
■1月9日~3月8日まで、初のホールツアーTour 2009「ワールド ワールド ワールド」を開催(追加公演1公演含む、全国17都市18公演)。
■3月25日 ライブDVD第三弾『映像作品集5巻 ~live archives 2008~』リリース。

――「アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)」のルーツですか!? 後藤 ..

その後、レコード会社の担当者の方にマネジメント会社の方をお繋ぎいただき、何度かメールでやり取りさせていただきました。アジカンも地球環境に対する考えを以前から持っており、ライブやツアーグッズのあり方を変えたいタイミングにサステナブルに特化した®Labelからのオファー、さらにニューアルバム『プラネットフォークス』を引っさげたツアーを5月末から開催するという最高のタイミングも重なり、ツアーに合わせてコラボレーションすることが決定しました。

トップ; 「協力できたことが誇りです」 アジカン・後藤正文の吉報に、ファン歓喜

ちょうど2021年の年末にBYWEARのサステナブルラインの®Labelが完成間近だったので、それを持ってオファーしようと思い、アジカンが所属するレコード会社に連絡しました。1日、1週間、2週間と経ち、返信が来ないので「やっぱりダメかぁ...」と諦めかけていた時に、レコード会社の担当者の方から返信メールが来ました。思わず「おぉ!」と叫びました笑。

特にASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)の影響は大きく、物語のメインと ..

ASIAN KUNG-FU GENERATION (以下: アジカン) と出会い、圧倒的な演奏力とファンを巻き込むパフォーマンスに心奪われすぐにファンになり、その後ライブにも5回以上 (Weezerのライブより行ってます) 行ったことのあるBYWEARメンバーの一人がノックしたことから始まりました。